【旅エッセイ】屋久島|鍵のない自転車

結局、飛行機は無事に飛んでわたしの熊本旅行計画はなかったことになった。

がっかりしながら飛行機に乗り込んだ。予定調和の旅なんてつまらないなぁ。

屋久島では、滞在2日目に行く予定の白谷雲水峡にアクセスしやすい「田代別館」に宿泊した。 中学校の林間学校で泊まったような懐かしい雰囲気の旅館だった。寝巻きで歯ブラシをくわえながら躊躇なく廊下をぶらぶらできそうな感じ。星野リゾートだとそうはいかない。

屋久島に到着したのはお昼過ぎ。夕飯までたっぷり時間があったので、旅館で自転車をレンタルして周辺を散策することにした。最寄りのスーパーも、近くの食堂も徒歩で行くなんてとんでもないそうだ。屋久島の最寄りと東京の最寄りは距離が10倍くらいちがうらしい。

深夜に思い立ってふらっとコンビニに行ける東京の方が特別な環境なのかもしれない。

旅館まで送迎してくれた運転手さんに「コンビニはありますか?」と聞いたら、まってました!というような明るい笑い声をたてて「コンビニなんてないよ」と返事が返ってきた。

旅館のおじさんは、わたしたちを裏口のレンタサイクル置き場に招くと、うーんとわたしたちの脚の長さを眺めて自転車のサドルをめいいっぱい下げた。

「おじさん、脚短いなって思ったでしょ?」

初対面の年配者になんでこんな軽口が叩けるんだろう。胸から口までの気道の風通しがよくて、何のためらいもなく言葉が出てくる。

おじさんはカラカラ笑った。この島の人たちは旅行者の扱い方がうまい。

わたしたちが自転車をこぎ出して道路に出ようとしてからも、おじさんはじっと自転車の運転を見守っていた。そして、わたしに向かって「ズボンに履き替えたほうがいいな」と声をかけた。

薄手のスカートが屋久島の強い風にあおられてタイヤに巻き込まれそうになっていた。

トイレでトレッキング用のパンツに履き替えて旅館の表玄関に戻ると、おじさんが自転車のタイヤの空気を入れ直していた。友人Fは自転車のそばでぶらぶらしている。

「よし、いいよ。クーポン*で豪遊しといで」

*Go Toトラベルを利用したので島で使える2万円分のクーポンをもらっていました

借りた自転車は、宿の名前も書いていないし鍵もかかっていなかった。

※このエッセイは2020年11月の旅行を回想して書いています。

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この記事を書いた人

サウナ短歌の第一人者。サウナスパ・プロフェッショナル。公衆浴場コラムニスト。お問い合わせはインスタ・TwitterのDM、またはHPの問い合わせフォームからお願いします。

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